サッカーダイジェスト公式ツイッターより画像引用
カタールワールドカップまであと1年。7大会連続出場を目指す日本代表の歴史を振り返りたく、今回は数々のレジェンドが背負った背番号「4」の選手たちをご紹介します。
ワールドカップを戦った日本代表の歴代背番号『4』を振り返る【日本サッカーの歴史】
- ワールドカップを戦った日本代表の歴代背番号『4』を振り返る【日本サッカーの歴史】
- 1998フランスW杯「井原正巳」
- 2002日韓W杯「森岡隆三」
- 2006ドイツW杯「遠藤保仁」
- 2010南アフリカW杯「田中マルクス闘莉王」
- 2014ブラジルW杯・2018ロシアW杯「本田圭佑」
1998フランスW杯「井原正巳」
時事ドットコム公式ツイッターより画像引用
記念すべきワールドカップ初出場で日本代表の「4番」を背負ったのは「アジアの壁」と言われ恐れられたセンターバック「井原正巳(いはらまさみ)」さん。日本代表のキャップ数は122試合を誇り、現在でも歴代3位の記録。長く日本代表の最終ラインを支えたキャプテンです。
フランスのワールドカップは最終予選中の監督解任やカズ選手の落選など大会前にかなりの動揺が起こる出来事が多く起こりました。そして下の世代には中田英寿さん・川口能活さんなどのアトランタ世代が勢いに乗っていて、それ自体はいいのですが、上の世代とうまく調和するために間に入ってまとめたのが井原さんでした。大会前にケガもしましたが、それに負けずに3試合フル出場。
チームはグループリーグ敗退となりましたが、日本代表の一歩をしっかりと踏んだ活躍をしてくれました。
2002日韓W杯「森岡隆三」
サッカーダイジェスト公式ツイッターより画像引用
初の日本でのワールドカップで若い世代の日本代表でのキャプテン「森岡隆三(もりおかりゅうぞう)」さん。フラット3と呼ばれた高い位置で3バックを組み、オフサイドトラップをしかけやすくした戦術で一番大事な中央のポジションを任されていました。
代表前にケガをしながら本大会には出場&キャプテンを任されるなど、当時のトルシエ監督からは絶大な信頼を得ていました。しかし、第一戦のベルギー戦にて負傷退場をしてしまいその後は出場機会がなく、初のベスト16も本人にとっては苦い経験となったと思います。
2006ドイツW杯「遠藤保仁」
JFA公式ツイッターより画像引用
ドイツワールドカップで背番号4を背負ったのは、その後に日本代表の歴代1位となるキャップ数を記録した司令塔「遠藤保仁(えんどうやすひと)」選手。
2004年のアジアカップではレギュラーとして日本代表を優勝へ導く貢献をしましたが、ワールドカップではGK以外では唯一出場がなかったという結果になり、本人としてはかなり悔しい経験となったと思います。
その後はみなさんのご存じの通り、長きにわたり日本代表の司令塔として活躍、そのイメージから背番号「7」のイメージの方が強いですね。
2010南アフリカW杯「田中マルクス闘莉王」
JFA公式ツイッターより画像引用
2010年南アフリカワールドカップで背番号4を背負ったのは鉄壁の守備と闘将といわれたほどチームに活気をもたらしたセンターバック「田中マルクス闘莉王(たなかまるくすとぅーりお)」さん。
このワールドカップでは一緒にセンターバックを組んだ中澤さんとアンカーポジションで守備に奮闘した阿部選手などほかの選手たちと一緒に鉄壁の守備で全試合で失点はPKの1点のみ。最高の守備を見せてくれたセンターバックでした。
攻撃参加が魅力的な選手でもあったのですが、大会中は守備に専念しチームを支えてくれました。
2014ブラジルW杯・2018ロシアW杯「本田圭佑」
サッカーダイジェスト公式ツイッターより画像引用
2014年ブラジルワールドカップ、そして2018年ロシアワールドカップで背番号4を背負った攻撃的なミッドフィルダー「本田圭佑(ほんだけいすけ)」選手。
ブラジルワールドカップでは全試合フル出場で中心選手として活躍。コートジボワールとの一戦では2大会連続ゴールを決めました。しかしチームは1分け2敗でグループリーグ敗退。史上最強ともいわれていた日本代表でしたが期待された結果を残すことはできず悔しい大会となりました。
次のロシアワールドカップでは最終予選の最後のほうでは代表選外に。監督交代を機にギリギリで日本代表に復帰することができました。本大会では先発出場がなく、途中出場でチームに貢献し、セネガル戦では3大会連続ゴールを決めました!チームも2大会ぶりのベスト16を記録しベルギー代表にも一時リードするなどしながら逆転され、かなり惜しい敗退となりました。
来年のカタールワールドカップではどの選手が背番号「4」を背負うのか今から楽しみです!