サッカーの中でセンターバックは守るだけでなく、チームを後方からの指示で支えるリーダーの気質が必要なポジションです。そこで今回は30代男子の私が思い出に残っている日本の歴代ディフェンスリーダーを10人選びました。
サッカー|30代男子が選んだ日本が誇る歴代ディフェンスリーダー10選【代表選手から闘将、バンディエラまで】
- サッカー|30代男子が選んだ日本が誇る歴代ディフェンスリーダー10選【代表選手から闘将、バンディエラまで】
- 1.吉田 麻也(よしだ まや)
- 2.中澤 佑二(なかざわ ゆうじ)
- 3.宮本 恒靖(みやもと つねやす)
- 4.井原 正巳(いはら まさみ)
- 5.中田 浩二(なかた こうじ)
- 6.柱谷 哲二(はしらたに てつじ)
- 7.冨安 健洋(とみやす たけひろ)
- 8.田中マルクス闘莉王(たなかまるくすとぅーりお)
- 9.秋田 豊(あきた ゆたか)
- 10.松田 直樹(まつだ なおき)
- 最後に
1.吉田 麻也(よしだ まや)
一人目で紹介するのは、現役の日本代表キャプテンであり、ディフェンスリーダー「吉田麻也」選手です。
日本人で初めてプレミアリーグで通用したセンターバックと言われ、対人能力はもちろんのこと、ビルドアップもうまく、フィード精度も高くとても万能なセンスを持っています。
吉田選手は長身の割に足も速く、プレミアではサイドバックでもプレイすることもありました。
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2.中澤 佑二(なかざわ ゆうじ)
ボンバーヘッドと言われ、対人能力が非常に高く、またディフェンスながら抜群の決定力も誇った「中澤佑二」選手。
2010年のワールドカップでは田中マルクス闘莉王選手とともに鉄壁のディフェンス力でチームをベスト16へ導きました。
中澤選手は若い頃にブラジルへ武者修行へ行き、日本へは逆輸入選手という形で注目を浴びながら、長く日本の最後列を支えてきた偉大なセンターバックです。
横浜F・マリノスではJリーグ2連覇など、20年間所属し、チームのバンディエラとして引退するまで長く活躍しました。
samurai Tun presents Yuji Nakazawa Diary 1
3.宮本 恒靖(みやもと つねやす)
日本サッカー界が誇る知将「宮本恒靖」選手。
2002年の日韓ワールドカップではフラット3と呼ばれる、最後列の3バックを水平に配置する難しいシステムで一番の肝となる中央を守り、日本初のグループリーグ突破を決めました。
4.井原 正巳(いはら まさみ)
アジアの壁と呼ばれ、日本初のワールドカップ出場を決め、98年フランスワールドカップをキャプテンとして臨んだ「井原正巳」選手。
日本の4番と言えば、井原選手のイメージが一番強いのではないでしょうか。
日本人で二人目のアジア最優秀選手に選ばれるほど存在感がある選手でした。
5.中田 浩二(なかた こうじ)
日本だけでなく、海外でも活躍した複数ポジションもこなせるマルチな才能もあるディフェンダー「中田浩二」選手です。
宮本選手と松田選手と共に日韓ワールドカップで最終ラインを支えました。
その後、フランスの強豪マルセイユでサイドバック、スイスの強豪バーゼルでセンターバックで活躍した海外で活躍したディフェンダーの先駆者でもあります。
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6.柱谷 哲二(はしらたに てつじ)
Jリーグ創生期、チームのほとんどが日本代表という「最強」読売クラブからヴェルディ川崎の中心として活躍し、ドーハの悲劇の際の涙が印象的な「柱谷哲二」選手。
三浦カズ選手やラモス瑠偉選手、武田修宏選手など個性の強い選手たちが揃うヴェルディをまとめたディフェンスリーダーです。
日本代表ではボランチもこなすマルチな才能も持った選手でした。
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7.冨安 健洋(とみやす たけひろ)
現役日本代表!期待の若手ディフェンダーであり、東京オリンピックのディフェンスリーダー「冨安健洋」選手。
19歳でベルギーリーグに挑戦し、現在はカテナチオと呼ばれる守備的サッカーの本場イタリアのセリエAボローニャでサイドバックのスタメンを勝ち取っています。
まだ21歳の伸び盛りで、これからビッグクラブ初の日本人ディフェンダーの誕生も期待できる逸材です。
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8.田中マルクス闘莉王(たなかまるくすとぅーりお)
まさしく闘将!その対人能力とリーダーシップで日本を救ってきたディフェンダー「田中マルクス闘莉王」選手です。
元々、ブラジルからの留学生の日系ブラジル人で日本に帰化してくれました。
まるでラモス瑠偉選手を彷彿とするようなリーダーシップで2010年南アフリカワールドカップでは日本代表をベスト16へ導きました。
クラブではその空中戦の強さと決定力からフォワードとして配置されることもあるくらいチームを救える選手でした。
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9.秋田 豊(あきた ゆたか)
90年代のJリーグ創生期に、鹿島アントラーズの黄金時代をさせたセンターバック「秋田豊」選手。
抜群のフィジカルを誇り、ゴール前での強さは群を抜いていました。
日本代表では98年、2002年と2大会連続で日本代表として選出されましたが、2002年はベテランとしてのメンタリティーを期待されての選出でした。
鹿島黄金期を守備で支えた秋田豊が現役時代を振り返る。:THE LEGEND SPECIAL INTERVIEW 秋田 豊 編
10.松田 直樹(まつだ なおき)
最後にご紹介するのは、稀代のセンターバックと呼ばれている「松田直樹」選手。
ディフェンダーながら、ディフェンスだけでなくボールテクニックと抜群のパス精度を誇る、最後列にいると一番怖いセンターバックと言われていました。
日本代表として、中田浩二選手と宮本選手とともに2002年の日韓ワールドカップでは日本を初のベスト16へ導きました。
Tribute to Naoki Matsuda 松田 直樹 3 The Last Samurai
最後に
今回は30代男子の私が選んだ、記憶に残るディフェンスリーダーたちを10人ご紹介しました。どの選手も思い出深いセンターバックで、活躍する姿が懐かしく思います。
また、明日もよろしくお願いいたします。