野村監督、84年間という人生、お疲れさまでした。
そして、感動をありがとうございました。
選手、そして監督として多大なる功績を残されたこと、素晴らしく思います。
今回は、自分が生まれてから見た野村克也さん(以後ノムさん)の印象などについて語りたいと思います。
もしかしたら、一部認識違いもあるかもしれませんが、あくまで私の今ある記憶で語らせていただけたら幸いです。
ノムさんお疲れさまでした!【プロ野球史上最高の捕手&指揮官】
プロ野球界唯一の捕手での三冠王
まずは選手時代で知っている話をしたいと思います。
ノムさんは選手時代、打てるキャッチャーというポジションを確立した選手です。
元々、キャッチャーは打撃よりも守備に重きを置かれたポジションで、打順でいうと8番などを打つような選手が多くいました。
理由はいろいろありますが、ボールを受けるポジションで常に中腰でプレーすることから体を痛めることも多く、ケガが多いポジションであったためにフルでシーズンの試合に参加することが難しいということがあります。
昨シーズン限りで引退した読売ジャイアンツの阿部慎太郎選手は35を超えた頃からファーストで打撃に専念したりしましたが、キャッチャーはプロ野球の中でも過酷なポジションなのです。
そんなキャッチャーをやりながらノムさんは本塁打王をなんと9回、打点王も7回、そして三冠王を記録した1965年に首位打者を1回記録しています。
当時は王貞治さんが記録した55本の本塁打などありましたが、ノムさんも1962年に52本の本塁打を記録しています。捕手であることを考えるとすさまじい記録です。
そして、捕手で三冠王を獲得したのは後にも先にもノムさんだけです。
また、ベストナインは史上最多の19回受賞。
歴代で最高の捕手であったことがわかります。
そんな歴代最高の捕手は打席・打数も歴代最多を記録しています。
長い間、離脱もせずに試合に出続けた印だと思いますので、捕手である点を考えると本当にすごい選手であったのだと思います。
監督時代、ヤクルト時代はすごかったけどあまり知らない、でも阪神・楽天がのちに優勝したのはノムさんのおかげ
申し訳ありません。一番知らないのはヤクルトの監督時代なのです。
理由は当時、自分はまだ赤子のような頃だったので、プロ野球にハマるのは大分先だったのです。
しかし、話はいくらか知っています。
最も有名なのは「ID野球」という言葉でしょう。
ノムさんといえば理詰めのロジカルな野球を展開していたことで有名です。
そのID野球を駆使し、ヤクルトをセリーグ連覇と日本一に導きました。
その後、阪神へ舞台を移します。
自分が初めて野球を本格的に見始めた頃でした。
阪神のイメージとしては最悪で、万年5位6位の弱いチームというイメージでした。
結局は最悪な順位で阪神での監督を退くことになるのですが、その後星野仙一監督のもとで常勝軍団となりました。
ノムさんが指導していた頃に若手だった選手たちが中心選手となっていたので、のちにチームの礒はノムさんが作ったと世間から言われるようになりました。
楽天イーグルスでも田中将大選手に代表されるように、低迷なチーム順位を記録するチームの中で新しいノムさんの顔を見せながらチームの礒を築きました。
2013年に楽天が優勝したのは、ルーキーイヤーから積極的に使い続けた田中選手が記録した24勝1分けという無敗の記録がチームの結束を強くしていたと思っています。
チームを強くする優秀な指揮官は決して優勝するチームの監督だけというわけではありません。
2020年で84歳になられていました。
平均寿命を考えるとお亡くなりになる可能性もあるお年でした。
ただ、元プロ野球選手でここまで記憶に残る人がなくなるのは正直初めてであったので、心から哀しく思いました。
これからもプロ野球は日本の人気スポーツとして続きます。
ノムさんには空の上からプロ野球、そして今年の夏にある東京オリンピックでの選手たちの闘志をぜひ目に焼き付けてほしいと思っています。
いままで、お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。