日本代表を2度のワールドカップベスト16へ導き、日本史上歴代最高のゴールキーパーの一人である『川島永嗣』選手。海外で川島選手ほど長く活躍したゴールキーパーはいなかったと思います。そんな川島選手がなぜ、長い間日本サッカーや海外で活躍できたのか、今回は語ってみたいと思います。日本のサッカーの進化は止まらない。
サッカー|『川島永嗣』歴代日本最高のゴールキーパー【進化する日本サッカーを語る】
- サッカー|『川島永嗣』歴代日本最高のゴールキーパー【進化する日本サッカーを語る】
- 高校時代は文武両道
- Jリーグ大宮アルディージャへ入団、そしてイタリア留学へ
- ユース代表で不動のレギュラーに。飛躍のために名古屋グランパスエイトへ
- 2007年川崎フロンターレへ移籍し、日本代表にも招集へ
- 苦難の時…2大ゴールキーパーの壁は高く…
- 2010年W杯直前の転機、ベスト16へ導く
- 舞台は海外へ!ベルギーリーグに挑戦、リールセ、そして強豪S・リエージュへ
- 2014年、W杯予選敗退の失望
- ダンディーUと契約。日本代表へ復帰へ
- 欧州後5大リーグの一つ、リーグアン参戦!苦境も跳ね返す!
- ロシアワールドカップ2018の守護神としてチームを救う
- 次の舞台、カタールワールドカップ2022へ
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高校時代は文武両道
川島選手は、浦和東高校時代に文武両道を貫いていました。サッカーだけでなく、勉学も怠ることはございませんでした。そのため、高校からは大学進学も進められていたようです。
『サッカー部』だからと馬鹿にされるのは嫌で、勉学にも本気に取り組んでいる姿はさすがとしか言えません!
その姿勢は、大宮アルディージャ入団後にも生かされることになりました。
Jリーグ大宮アルディージャへ入団、そしてイタリア留学へ
高校を卒業後、川島選手はJリーグに所属する大宮アルディージャへ入団しました。
その後、イタリア・セリエA『パルマ』に留学。その際、イタリア史上最高のゴールキーパーと言われている『ジャンルイジ・ブッフォン』選手を指導した『エルメ・フルゴーニ』氏に指導されることになり、これがのちに海外で活躍するゴールキーパーへ飛躍する川島選手の転機となりました。
フルゴーニ氏の指導内容に関しては、下記の記事で知ることができますので、興味がある人はぜひ、読んでみてください。
ユース代表で不動のレギュラーに。飛躍のために名古屋グランパスエイトへ
川島選手は日本代表のユース選手に選ばれました。そして、不動のキーパーとしてAFCユース選手権2002などに出場します。その後、飛躍を誓い、当時に最盛期を迎えていた日本代表ゴールキーパー『楢崎正剛』氏が所属する、名古屋グランパスエイトへの移籍を決意します。
しかし、やはり楢崎氏の壁は厚く、結果として予選まで活躍したオリンピック代表ですが、本選で外れることになってしまいました。
その後、2006年にチャンスをものにし、10試合に出場。あの当時、日本代表でバリバリだった楢崎氏と守護神争いを繰り広げたのです!
2007年川崎フロンターレへ移籍し、日本代表にも招集へ
川崎フロンターレからのラブコールを受け、当時クラブ史上最高額一憶五千万円の移籍金で加入し、フル回転で活躍しました。そして、移籍と同時に日本代表にも招集されるようになりました。
私もファンなので覚えていますが、当時の川崎フロンターレのウィークポイントと言われたゴールキーパーの穴を見事に埋めてくれ、その年のAFCアジアカップにも日本代表メンバーとして参加しました。
苦難の時…2大ゴールキーパーの壁は高く…
日本代表へ招集されることが多くなりましたが、やはり長年日本代表を支えた『楢崎正剛』氏と『川口能活』氏の壁は厚く、なかなか出場機会にも恵まれることはありませんでした。
そして、両キーパーが負傷した際についに自分が選ばれると考えていた際に、全く別のゴールキーパーを起用されたことがとても響いたようです。この話の詳細は、川島選手の著書『耐心力』で読むことができます。
2010年W杯直前の転機、ベスト16へ導く
転機は突然現れました。2010年W杯直前、日本は厳しい状況に置かれていました。当時の監督であった岡田氏はチームのテコ入れを始めます。トップ下を廃止し、アンカー(中盤の底で守備に専任するミッドフィルダー)ポジションへ『阿部勇樹』選手を配置。そして、キャプテンに当時まだ若手だった『長谷部誠』選手を指名。最後にゴールキーパーに、楢崎氏でも川口氏でもなく、川島選手を指名しました。
そして、運命の親善試合イングランド戦で高パフォーマンスを見せ、見事日本代表の正ゴールキーパーへ昇進しました。
2010.5.30 日本vsイングランド 後半10分PK (2/2) 川島神セーブ
2010/05/30 Friendly Japan vs England 1st-half
2010/05/30 Friendly Japan vs England 2nd-half
そして、日本代表は快進撃を続け、日本を2度目のベスト16へ導きました
舞台は海外へ!ベルギーリーグに挑戦、リールセ、そして強豪S・リエージュへ
ワールドカップでの活躍が認められ、ベルギーリーグの『リールセSK』へ移籍することができました。川島選手の凄いところは、既にアルディージャ時代から語学の勉強を進めており、現在は7か国語を話せるほどになっていました。
そのおかげもあり、川島選手はリールセで正守護神に。そして、その活躍が認められてベルギーの強豪『スタンダール・リエージュ』へ移籍することができました。
ヨーロッパリーグにも出場し、選手として大きく飛躍した日々となりました。
2014年、W杯予選敗退の失望
『史上最強』とも言われ、多くの人から期待を受けて臨んだブラジルワールドカップ2014。しかし、日本代表はグループリーグ敗退。そう、期待されたような結果を出すことはできませんでした。その後、川島選手は『スタンダール・リエージュ』を退団。無所属の期間がたたり、日本代表からも選出されなくなっていきました。
ダンディーUと契約。日本代表へ復帰へ
スタンダールリエージュへの復帰が噂される中、スコットランドプレミアリーグに所属する『ダンディーユナイテッド』への加入が発表されました。
所属も決まったことで、日本代表にも復帰。しかし、チームでは活躍できず、ダンディーユナイテッドは降格することになりました。
欧州後5大リーグの一つ、リーグアン参戦!苦境も跳ね返す!
川島選手は、2016年ついに欧州5大リーグの一つ、フランスの『リーグ・アン』のFCメスへの移籍が発表されました。しかし、FCメスでは入団会見で「第3GK」と共に発表されました。そう、川島選手はFCメスの若手ゴールキーパーの手本となることを期待されていたのです。
しかし、川島選手はへこたれることはありませんでした。チームが苦境に立たされると、正GKとして支えるようになりました。すると、それと同時期に日本代表でも正ゴールキーパーに返り咲きました。
川島永嗣 パリ・サンジェルマン戦タッチ集 Eiji Kawashima 08/09/2017
ロシアワールドカップ2018の守護神としてチームを救う
そして、迎える3度目の大舞台、ロシアワールドカップ2018。川島選手はその経験から、大会直前に就任した西野監督に日本代表の守護神に抜擢されました。
グループリーグの最初の2試合はミスも目立ちましたが、第3試合はそれを挽回する活躍を見せました。惜しくも決勝トーナメントではベルギーに逆転負けを喫しましたが、スポーツのデータ分析を手がける『Opta』によると7月6日(W杯期間中)までのロシアW杯のGKセーブ率ランキングで3位にランクインするなど、数値で結果を証明することができました。
次の舞台、カタールワールドカップ2022へ
39歳で迎える2022年。川島選手は4大会連続での日本代表選出を目指して挑戦を続けています。現在はリーグ・アンの「RCストラスブール」に所属し、正GKを目指し、奮闘中。37歳にして、いまだに欧州サッカーの最前線で活躍を続ける姿は、きっと若手キーパーの刺激になっていると思います。
現に、少し前に比べて日本人GKが海外へ出る機会も増えてきました。今後も川島選手のゴールキーパーとしてのご活躍、そして日本サッカーへの貢献を期待したいです。
今日もご愛読ありがとうございました。
明日もまた、よろしくお願いいたします。
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