先日のルヴァンカップにて、日本サッカーのキングこと三浦知良選手(以降、カズ選手)がスタメン出場をし、同大会の最年長出場記録を更新。偉大な記録にまた一歩、新しい記録がつきました。そこで今回は、カズ選手の功績について振り返っていきたいと思います。
レジェンド・オブ・レジェンド|三浦知良、キングカズの軌跡まとめ(前編)【日本サッカー界の伝説:動画あり】
- レジェンド・オブ・レジェンド|三浦知良、キングカズの軌跡まとめ(前編)【日本サッカー界の伝説:動画あり】
- 1986年ブラジルでプロデビュー!
- 1993年、Jリーグ開幕・優勝・初代MVP、そして・・・
- 1994年、日本人初のセリエA移籍!
- 1998年、W杯メンバー落選
- 1999年、2度目の海外移籍でクロアチアの名門へ
1986年ブラジルでプロデビュー!
カズ選手のプロサッカー生活は今から34年前、19歳のときにブラジルの名門サントスFCとの契約して始まりました。その後、パラメイラス、マツバラ、CRB、キンゼ・デ・ジャウー、コリチーバ、そして再びサントスと6クラブを渡り歩きました。
動画内で華麗なドリブルテクニックを見せており、この頃から得意のまたぎフェイントを炸裂してますね!
1993年、Jリーグ開幕・優勝・初代MVP、そして・・・
[サッカー JP] 93年Jリーグ 三浦知良26歳 アクロバットヒールパス 押し込んだのは武田
1993年のJリーグ開幕。当時、私は幼稚園児でしたが、自分の住む川崎の街を冠にするチームヴェルディ川崎に心を打たれていました。あの頃のサッカーの熱狂は凄まじいもので、今も人気スポーツですが、一番サッカー熱が高かったのはあの頃だと思います。
そして、その中心にいたのが初代MVPでもあるカズ選手。当時の日本代表はほとんどがヴェルディ川崎の選手だったのですが、それも納得のスーパーサッカーを見せていました。
そして、サッカー熱の高まりとともに期待されるのが日本のW杯初出場。W杯出場が見えていた日本だったのですが、アジア最終予選の最終節、イラク代表の試合で終盤まで2−1でリードしながら最後、同点ゴールを決められてしまい、『ドーハの悲劇』と呼ばれる日本サッカーの歴史に刻まれている有名な事件となりました。
1994年、日本人初のセリエA移籍!
1994年、カズ選手は新しい挑戦を始めます。それが当時、世界最高峰のリーグと言われていたイタリアセリエAに所属する、ジェノアCFCへの移籍です。
日本人初のイタリアセリエAの選手となったカズ選手、日本サッカー界に新しい可能性を見出したとも言える移籍でした。
ジェノアCFCでは1ゴールを記録。1年間の在籍のみとはなりましたが、確実に日本の若いサッカー小僧たちが世界のサッカーへ目を向けた瞬間だったと思います。
1998年、W杯メンバー落選
97年に『ジョホールバルの歓喜』に沸いた日本。しかし、カズ選手に待っていたのは初めてのW杯ではなく、メンバー落選という現実でした。
この直後、消沈したカズ選手は同じヴェルディでプレイし、落選した北澤選手を連れてイタリアへ気分転換で飛んだようです。
初めてのW杯が幻になってしまった。その現実は31歳を迎えていたカズ選手にとって相当な衝撃だったと思います。しかし、もしかしたらこのW杯で選ばれていたら、カズ選手は今の歳までプレイすることはしなかったかもしれません。
1999年、2度目の海外移籍でクロアチアの名門へ
W杯の翌年、カズ選手は再び新しい挑戦を始めます。そう、クロアチアの名門ディナモ・ザグレブへの移籍です。
熱を失っていなかったカズ選手は、32歳にして2度目の海外移籍に挑戦します。今でもあまりこの年で海外挑戦を始める選手は少ないと思いますので、当時はかなり衝撃的だったことを覚えています。
プロサッカー選手としての意識が高く、いつまでも挑戦をやめない心は今だにカズ選手の挑戦を支えていると思います。
(中編へ続く)